私は幼い頃より、父の姿を見て育ってきた。週末になると父は、幼い私を色々な所へ連れて行ってくれた。また、父は模型を作るのが得意であり、よく模型を作っていた。私は単にそれを見ているだけで好奇心に満ち溢れ、次はどうなるのだろう、といつも横で期待しながら見入っていた。ある時父は、スクリューが電池で回転する航空母艦を作り、私を連れて多摩川まで行った事がある。それはラジコンによって操縦可能になっており、私と父は意気揚々と貸しボートに乗り込み、空母を進水させた。その瞬間、後方から一組の男女が操る巨大なボートが突如として現れ、進水したばかりの空母は跡形も無く飲み込まれてしまったのだった。父はオールで何とか轟沈を免れようとしたのだが、その甲斐も空しく、竣工期間半年以上を要し、息子の期待を満載した航空母艦は進水わずか五秒にして多摩川の藻屑と消えたのだった。悲しみに暮れる私に、父はこう言ったのを覚えている。「壁際での避け攻撃はかなり強いです。ドラスマ三発入る場合もあります。起き攻めでも使えます。」
先日、私が通っている有楽町モンタナに、私が師と仰いでいるフェルナンディオ先生がお見えになった。私のブログに告知されていたので、出迎えないわけにはいかない。私は午後七時過ぎに到着したが、既にK氏やG氏は来ていた。しかしながら、しばらくするとK氏とG氏は連れ立って帰ってしまった。私は当然ながら師を一緒に出迎えるものと思っており、しかも主に接客するのは彼らであり、私の役務は席を暖める事ぐらいだろうと予見していたので面食らってしまった。この業界に慣れていない方には理解しにくい事情かもしれないが、例えると、首相の国外訪問に際して、その国の大使館の清掃員が出迎えるようなものなのである。
結論から言うと、私の心配は完全に杞憂であり、師が訪問された時間は称号クラスの人間がひしめいており、師も満足されたのではないだろうか。そして私と師の初対面は、この業界の人間よろしく、筐体を挟んで行われた。筐体越しにも伝わってくるその威風。私は恥ずかしながら緊張してしまい、動きが岩のように硬くなってしまった。その初対面の様子を記録したので興味のある方は見て欲しい。
何故か私が勝っているが、これは師が芸に魅せてくれているにも拘わらず、私は岩の如く固い頭で必死になりつつ対応しているためであろう。例えるなら、歌舞伎を見に来た人にいきなり本場ブロードウェイのミュージカルを見せるようなものである。その後二時間近く私は師の横で見学させて頂いた。そして対戦の合間を見計らっては試合の内容を質問した。師は私の愚問に対しても、優しく答えてくれた。師が対戦する背中を、好奇心と期待で見つめる私。ふと冒頭に述べた、幼少の記憶が蘇る。今私の前で対戦しているのは父なのだろうか。怨爺に9タテを喰らいモチベーションが初めて下がっていた私を救ってくれたのは紛れも無く、ブロードウェイの中心で燦然と輝く、師だった。誰もが幻惑させられ、魅了させられる。そして、気付いたら、失神している。そんなサラを僭越ながら私も目指してゆきたい。
※次回から新連載、~私の履歴書~ スタート
筆者の周りのVFプレイヤーのVF以外のエピソードを部分的に紹介。